人間の心理  同じことを信じていない、同じこと思っていない

コロナウイルスのニュースを信じている人と、信じていないような人がいる。
同じことを知っても同じことなど思わないのだ。

今、コロナウイルスのことで、外にマスクを着けずに出ていると、ヘンな目で見られたりして
白眼視されたりする。

日本の過去の戦争のことなども、いまだにウソをついていて、
日本人みんなが、お国のために、天皇のためにと思って行った戦争だと言っている人もいるが、
これはウソで、みんなが戦争賛成ではなかった。
戦争反対だと特高警察に逮捕されたりしていたと言っている人もいるが、
こういう情報を知っている人は少なそうだ。

テレビや新聞などのメディアが、やらせ番組などでウソをついている場合がある思っている人は
多いだろうが、ニュース番組は意図的にウソをついているわけがないと信じている人が多いのだろう。

ニュース番組でコロナで亡くなった人がいるとか、感染した人がいると言っていても、
みんながそれを信じてはいないのだ。
では、なんで同じ情報を知ったのに、それを信じる人と信じない人がいるのかということだが、
多くの人は、大勢が信じていることや、大勢がやっていることは根拠や裏付けがなくても
正しいと信じていたり、ニュースがウソをつくわけがないと信じているんだろう。

今、外に出るときに、マスクをつけている人の中には、本当はコロナウイルスを危ないとか思っていない人や、コロナウイルスのことはウソだと信じている人も、他の人から変な目で見られたりして白眼視
されたくないから、形だけマスクをしている人もいるだろう。

数日前に、私が買い物に行こうとスーパーに向かっている時に、
住宅街を自転車で通っていたら、一人の年配のばあさんが
私のことをじ―っと不審そうに見ていた。
スーパーに行ったら、やたら大勢の人が来ていたのだが、
私が見た限り、ほとんどの人がマスクをしていた。

マスクを着けていない人がおかしいと思っている人が、
コロナウイルスのことがウソだとか、茶番だと言っている人がいることを知っても、
多くの人は信じないだろう。


YouTubeのcannel zeroというのチャンネルの「2020年これから何が起きるか予言。コロナ・偽パンデミック演出の真の目的は666・マイクロ

チップであなたをAI管理すること。非常事態宣言と世界恐慌。集団免疫、ワクチンデジタル証明書は666。坂の上零」という下の動画を見た。

 

 

この動画の中で話している人が、「特に日本人は、みんなと同じような行動をしていない人を弾圧する傾向があります。」と言っているのだが、大勢と同じことをしていなくても、その大勢と同じことをしていないことが、大勢の役に立っていたり、大勢の役に立っていなくても、大勢が迷惑したり、嫌がっていないことならば許す場合が多いと思う。
そのいい例が歌手で、誰も作ったことない歌を作ったり、歌ったりしていて、大勢が
やっていないことをやっていても、大勢の人が好んで役に立つものであれば許されやすいのだ。

では許されないのはどういう場合かと言えば、自分や大勢の人に都合が悪いことした場合だ。
例えば、コロナのことでは、マスクを着けていないことで、その人がコロナに感染して、他の人にコロナが移ってしまう可能性があるのに、マスクを着けていないのはおかしいと思ったりして不満を持ったり、不満を言ったりするのだ。
この動画を視聴しても、みんなが同じことは思わないだろう。





YouTubeでユジンの放送というチャンネルの

「87:コロナウィルスでID2020がやって来る。国家との立場を逆転させる方法。国家が静かにウィルス設定を終わらせる訳がない。」










という動画があるのだが、
この人はコロナウイルスが危ないとか思っておらず、ウソだと思っている人だ。
この動画を視聴しても、みんなが同じことは思わないだろうけど。

 

人間と言われている生物は、同じことを信じているわけではないので、
同じ情報を知っても同じことは思わないのだ。
もし、テレビで上の2つの動画が放送されても、
多くの人は信じなさそうだけど。

ユジンの放送に出てくる人は、地球はフラットアースで、宇宙はないと言っているのだが、
多くの人は宇宙があって、地球は丸いと信じているだろう。
地球が丸かろうが、丸くなかろうが、
地球が丸いというのを直接自分で見たわけではなくても、
なんで多くの人が、地球が丸いとか宇宙があると信じているのかは、
テレビや雑誌などで地球の写真や、映像を見ていると丸く見えるからとか、
テレビや新聞はウソをついているところがあるとは思っていても、
ほとんどウソは言っていないと信じているからだろうけど。


私は昔、店で万引きして警察に逮捕されたことがある。
多くの人は私が間違った不正をやったと思い、私を見下してバカにするだろうが、
それは、値段がついているものに金を払わなかったからではなくて、
知らない人や、悪人だと思っている人などの仲間だと思っていない人がやったから許さない人が多かったり、

大勢と同じことをすることが正しいと信じているから、大勢と同じことをしない人を
間違っていると信じていて不満を持つのだ。

もし、子どもが同じことをやれば、子供好きが多いだろうから許したり、
大目に見る人が多いだろうし、仲間がやったりしても許しやすいだろう。
つまり、やったことを見て悪いと思ったり、逮捕させたいのではなくて、
どうでもいい人や、仲間ではない人や、好きではない人がやったから許さずに逮捕するのだ。
そもそも、みんなが仲間で本当に助け合いをしているのなら金でやっていく世の中などやっているわけがないのだが、ほとんどの人は自分の役に立っている人ではないとか、仲間だと思っていないから
合法をいいことに金でやっていく世の中を正当化させているのだろう。

国やメディアや、色んな人がウソをついたりしたことに不満を持つ人も
ウソをついているのだが、自分がウソをついていることに気づいていなかったりするから
厄介で面倒なのだ。
金でやっていく世の中は不正で間違っていて、ウソだが多くの人はそれに気づいていないのだ。
では、なんで気づかないのかというと、鈍くて、頭が悪い、バカでアホなところがあるからだ。

よく、自分や誰かが間違っていることを正しいと信じていて、
後からそれが間違っていると思いだした時に、他人のせいで正しくもないことを正しいと
信じ込まされたというのに、洗脳、マインドコントロール、や呪縛されていたなどという言葉
で言い表す人がいるのだが、
これは、初めに正しいことではない、間違ったことを言ったり書いたりした人を
問題視して悪く言っていて、信じた方を問題視していないのだ。
相手が言っていることが、本当のことなのか、正しいことなのかを見抜けていない方を問題視はせずに、被害者のように言う場合は「人を疑う心を知らない人をだました」など言う人もいるだろうが、
相手がウソをついていたり、正しくもないことを言っていることを見抜けていないことを、
多くの人はバカや頭悪いとは言わずに、間違ったことを言っていた人や、
意図的にウソをついた方を問題視して悪く言うのだ。

ではなぜ、本当のことを見抜けなかった方を問題視しにくかったり、
悪く言わないのかは、自分や仲間や多数派に甘いからだ。

初めに誰かが作ったものや、言っていたことを取り入れて、
それがうまくいかなかったり、不利益を被ると初めにそれを作った人や、
言った人を問題視することで、自分や好きな人や多数派を悪く言いたくないのだ。

大体いつも同じような人ばかりが悪く言われるのだ。
悪く言われやすい人は、国などの上の立場の人や、
大勢から嫌われている人、逮捕されているような人が悪く言われやすく、
こういう人たちがスケープゴートにされやすい。

多くの人は、普通の人や一般人などという言葉で片付けられていて、
同じ人間であるかのように言っていて、大雑把なのだ。


人類の多くは、大勢と同じことしているのなら、ほとんど何やってもいいと信じていそうな感じもする。

コロナウイルスについては緊急事態宣言をしても、金でやっていく世の中がおかしくてウソなことが
緊急事態だとは言わないのだ。
金でやっていく世の中で大勢が苦しんでいるが、人のためや社会参加、社会貢献などと言って
かっこつけ、大勢が加担してることだからとか、法律で規制されていないから正しいと信じているのだろう。
新型コロナウイルスのような言い方で金でやっていく世の中を言い表したら、
金でやっていく世の中はウソ型社会だともいえる。

いじめという言葉を多くの人が知っていても、
この言葉を同じ意味では使っているわけがないが、
金でやっていく世の中自体がいじめ社会であるともいえる。

例外あれど、大勢と同じことをしない人を見下して、
自分や大勢に不利益になるようなことをすると許さずに、
刑法違反なら逮捕するのだ。
金を払わない人を逮捕することで、自分や多数派の方が正しいという正当性を主張したいのだろう。
虎の威を借る狐をやっており、
法律を利用して逮捕して恥かかせてやったり、牢屋にいれて苦しめさせたいと思っている人もいるのだろう。

誰かが、「みんな他人に興味がない」とか「みんな自分のことで精一杯」などと言っている人が
いたが、「みんな他人に興味がない」というのは、まったく興味がないということではなくて、
ほとんどの人に興味がないという意味だろうが、
私もほとんどの人はそういう人達だと思う。

自分が正しと信じているので、自分が正しい信じていることをやらないと、
疑問を持って不思議がったり、不満を持ったり、逮捕させようとしてくるのだろう。
相手の信仰や体調などを知る気もなく、
絶対に自分が正しいと信じていることにおいては、相手の信仰や心理などを
知ろうともしない人もたくさんいるのだ。
かといって、相手の言い分を聞いたとしても、自分が間違っていると思うことをすると
逮捕してきたり、相手の方が間違っていると思うわけだ。

金でやっていく世の中が絶対正しいと信じていて、
値段ついているものに金払うことや、税金、年金を払うことが正しいと信じていると、
正しいと信じていることをやらなかった人を悪や罪などという言葉で言い表してたり、
逮捕してきたりするが、子どもや仲間などが同じことすると許すようなえこひいき差別をしている。
白人の黒人差別には不満を持ち、ひどいことしていると思っていても、
自分達も差別していて、他人の姿は自分の姿でもあるのだ。

「金でやっていく世の中は不正で間違っているから、金でやっていく世の中をなくそう」
と言っても、賛同者が一人もいなかったり、少数の賛同者しかいなかったりしたら、
それが現実になることもないだろう。
でも、人類の過半数の人が賛同して、現実に金でやっていく世の中をなくそうとしたら、
結構すぐに、金でやっていく世の中などなくなるだろうけど。
味方は少ないよりは多い方がいいのだ。

無職やニートなどと呼ばれている人を見下したり、バカにしている人がいるが、
この人達が何かをやっていても金は貰えなかったり、
何かをやっていても、家族や親戚や同居している女から金を貰っていたら許さないのに、
大勢が仕事や職業と呼んでいるもので金を貰っていたら許すというようなえこひいき差別しているのが金でやっていく世の中の実態だ。
かといって、仕事や職業と言われているものをやっていても、
不満を言ったり、辞めさせようとしたりなどしているのだから、無茶苦茶なのだ。

金でやっていく世の中で大勢の人が迷惑して、苦しんでいるのは分かりきっていることだろう。
そこに加担していても、いじめているとは言わないのだ。
ほとんどの人はいい人だから、人が嫌がることしていても許されるべきだと信じている人が多そうだ。
白人至上主義みたいになっていて、善人至上主義とか、いい人至上主義ともいえる。
いい人だと思う人は人が嫌がることしても許したらいいと思っていることや、自分が正しいと信じているところがあることを、自分至上主義や、自分勝手至上主義や、自分が正しい至上主義や自分宗教や
自分が正しい宗教ともいえる。


年金、税金や値段ついているものに金を払わずに逮捕されたり、見下されたり、
悪者扱いされたり、加害者にされている人は金でやっていく世の中の被害者ともいえるし、
正しくもない法律や、その法律を信じている法律信者や刑法信者の被害者であるともいえる。

私は金でやっていく世の中が正しいと信じている人を、金信者や金信奉者などと呼んでいて、
金でやっていく世の中が正しいと信じていない人を金非信者と呼んでいる。
世界中のほとんどの人は金信者だろう。
例外あれど、世の中など多勢に無勢(たぜいにぶぜい)なので、
少数派の金非信者は立場が弱い。
勢力の強い者や、強制が使える権力者には逆らわない方がいいというのを、
長い物には巻かれろなどと言うが、そういう生き方をしている方が
無難な生き方であり、見下されたり、バカにされにくいのだ。

金でやっていく世の中が人間のすべきことで正しいことであるかのように
信じている人が多いこの世の中で、金信者には逆らわない方が無難であるということだろう。
例外あれど少数派狩りをしているのだ。
だから、金払わないと逮捕したりするのだ。

私は今までに、金でやっていく世の中、金社会が間違っているとか、不正だとか言っている人を
見聞したことがない。
政治家とかの国側を悪く言ったり、逮捕されるようなことをしている人を悪く言ったりする人のことは
よく見聞しても、金でやっていく世の中を否定したり、悪く言う人を聞いたことがない。

金自体が汚いのではなくて、汚い金の使い方している人がおかしいというようなこと言っている人がいるが、本来値段がついていないものに値段付けたり、何もないところに税や年金の法律など作って、
人から金取ることを汚いとは言わずに、自分や多数派を甘やかしているんだろう。

刑法違反したのが子どもや、仲間だったら許して、他の人が同じことしたら
許さずに逮捕したりするようなことをしていることを
汚いとは言わない人たちもたくさんいるだろうけど。
大勢がやっていることは悪く言いたくないのだろう。

給料や印税という形で金を貰っていない人を見下したりして少数派のことを
悪く言って問題視しても、多数派のことは問題視されにくいのだ。

ネットで検索すれば何でもわかるかのように言っている人もいるが、
以前と比較したら、インターネットで今までよりもたくさんの情報を知ることが出来るようになっても
世の中や人間について、ほとんどのことはネットには書かれていないだろう。
ある言葉でグーグル検索しても検索結果がたくさん出てきた時には、
上位表示されたサイトやブログなどを見るわけで、
下の方の検索結果などほとんど見られないか、まったく見られないのだから、
あってもないのと同じなのだ。


普通の人や一般人や、いい人などという言葉で片付けられていて、ほとんどの人は同じ人間で
あるかのように仕立てたい人もいるのだろうが、
全く同じ人間などいるわけがない。

同じことをしたのが自分や仲間や子どもなど好きな人なら許したり、大目に見たり
するのに、他の人なら許さなかったり、逮捕したりするえこひいき差別していたりするようなところがあったり、大勢と同じことをすることが正しいと信じていて、多数派を擁護して、例外あれど
少数派を見下げていることなどを
本当は恐ろしいグリム童話という本の題名に似せた言い方で普通人や多数派のことを言い表せば、
「本当は変わっている普通の人と呼ばれている人達」
「本当は冷たいところがある普通の人といわれている人達」
「本当は差別やえこひいきしている普通の人と呼ばれている人たち」
「本当は恐ろしい普通の人と言われている人達」
「本当は怖い普通の人と言われている多数派の人達」
「本当はいい加減で適当なところがある普通の人といわれている人達」
「本当は怖い普通の人と言われている人の信仰」
「本当は怖い普通の人言われている人たちのおどろおどろしい差別心」と言う感じだな。


金でやっていく世の中を、本当は恐ろしいグリム童話みたいな言い方をすれば、
「本当は間違っている金でやっていく世の中」
「本当は頭おかしくて、イカレている金でやっていく世の中」
「本当は間違っている金社会」
「本当は正しくもない不正の金でやっていく世の中」という感じだ。

間違っていることやおかしいことを罪や犯罪と言う言い方をするならば、
「本当は罪な金でやっていく世の中」
「本当は金でやっていく世の中は犯罪」
「本当は頭がおかしい金でやっていく世の中という犯罪社会」
「みんなでやれば不正も正しいということにしている本当は不正で犯罪な金でやっていく世の中」
と言う感じだ。